うらるかんぞう (ウラル甘草) 

学名  Glycyrrhiza uralensis
日本名  ウラルカンゾウ
科名(日本名)  マメ科
  日本語別名  カンゾウ、アマキ、アマクサ、
漢名  甘草(カンソウ, gāncăo)
科名(漢名)  豆(トウ,dòu)科
  漢語別名  苓(レイ,líng)・蘦(レイ,líng)、甜草(テンソウ,tiáncăo)・甜甘草・甜根子・甜草根、烏拉爾甘草
英名  
2007/04/19 薬用植物園 2007/05/03 同左
2007/05/26 同上
2007/06/20 同上 2007/07/21 同左
2006/08/28 明治薬科大学薬草園
『中国本草図録』Ⅲ/1210・『中国雑草原色図鑑』103・『中薬志Ⅰ』彩図13・『週刊朝日百科 植物の世界』4-311参照

 カンゾウ属 Glycyrrhiza(甘草 gāncăo 屬)については、カンゾウ属を見よ。 
 古名蘦(レイ,líng)の音義は 苓(レイ,líng)に通ずという。
 『爾雅』に「蘦、大苦なり」と。
 郭璞
(かくはく)の注に、「今の甘草なり。蔓延して生じ、葉は荷に似て、靑黃、莖は赤くして節有り、節に枝有り相當る。或は云う、蘦は地黃(チコウ,dìhuáng,じおう)に似たり」と。
 邢昞(けいへい)の疏に、「『詩』唐風に〈苓を採り苓を採る、首陽の巓〉と云うは、是なり。蘦と苓、字は異なると雖も、音義は同じ」と。
 「苓」は、『詩経』国風・邶風
(はいふう)・簡兮(かんけい)にも、「山には榛(しん,ハシバミ)有り、隰(しふ)には苓(れい)有り」とある。
 沈括(しんかつ)『夢溪筆談』26薬議に、旧を否定して、蘦は「此乃黃薬(カシュウイモ)也。其味極苦、謂之大苦。非甘草也。云々」と。
 李時珍『本草綱目』は、「理を以て之を度るに、郭説は形状殊に相い類せず、沈説之に近し」と。
 李時珍『本草綱目』(ca.1596)甘草の釈名に、「蜜甘別録。蜜草別録。美草別録。蕗草別録。霊通記事珠。国老別録」と。
 深江輔仁『本草和名』(ca.918)甘草に、「和名阿末岐」と。
 源順『倭名類聚抄』
(ca.934)甘草に、「和名阿万木」と。
 小野蘭山『本草綱目啓蒙』8
(1806)甘草に、「アマキ和名鈔 アマクサ同上 大和和方書 カンザウ通名」と。
 属名は、ギリシア語の「甘い根」に由来。
 遼寧・吉林・黑龍江・河北・山東・山西・陝西・甘肅・寧夏・靑海・新疆・モンゴリア・シベリア・アフガニスタン・パキスタンに分布。
 日本には、奈良時代に生薬が入り、正倉院に実物が残る。また平安時代には栽培しており、『延喜式』によれば 陸奥・出羽・常陸等から進献している。
 今の日本では、試験栽培が行われているのみ。
 根に glycyrrhizin を含む。glycyrrhizin は、砂糖の150倍の甘みがある。
 中国では、地下の大きな黄色い根を、薬用にし、また甘味料とする。地上の嫩芽は、蔬菜として食う。『中薬志Ⅰ』pp.130-133、『(修訂)中薬志Ⅰ』pp.355-366。
 ウラルカンゾウ以外にも、G.glabra・G.kansuensis・G.inflata の根を同様に用いる。
 日本では、生薬カンゾウは ウラルカンゾウ又はカンゾウの根及びストロンで、ときには周皮を除いたもの(皮去りカンゾウ)である。シャカンゾウ(炙甘草)は 「カンゾウ」を煎ったものである(第十八改正日本薬局方)。いずれも薬品原料は中国から輸入。
 江戸時代には、甲州(山梨県)で栽培した。大永5(1525)年に栽培していた記録があるほか、享保8(1723)には 甘草屋敷に伝わっていた甘草を県内に広め、また駒場の薬園に移植した。
重要文化財 旧高野家住宅 (甲州市塩山上於曽1651番地。通称甘草屋敷)
 高野家は、江戸時代に薬用植物である甘草の栽培をして幕府に納めていた家で、古くから「甘草屋敷」と呼ばれてきれてきました。高野家の沿革がわかる貴重な資料「甲州甘草文書(県指定文化財)によると、八代将軍徳川吉宗治世の享保5年(1720)、幕府の採薬使丹羽正伯が高野家屋敷内にあった甘草を見分した結果、幕府御用としてその栽培と管理が申し渡されるとともに、一反十九歩の甘草園は年貢諸役を免除され、以後同家が栽培する甘草は、幕府官営の薬園で栽培するための補給源として、また薬種として幕府への上納を負うこととなりました。・・・
 甘草屋敷の甘草はウラルカンゾウです。高野家ではこの甘草栽培により、明治5年(1872)まで免税の特典を受けました。ここに残る甘辛は、「甲州甘草文書」の記述によると少なくとも340年を経ていることになり、日本で最も古い由緒を持つものとして知られています。
 (山梨県甲州市公式サイトより)
 土屋文明(1890-1990)が、第二次世界大戦後の疎開先(群馬県吾妻郡原町川戸)で、三月二十日に「甘草のつむべき畦を見に出でて」「吾が手の指の見ゆるかぎり甘草を切」り、「甘草を煮てうましともうまし」と詠った(『山下水』1946)甘草は、ここにいうカンゾウではなく、ヤブカンゾウなどカンゾウ(萱草)類であろう。
 西方では、古くギリシアのテオフラストス Theophrastus(372-286B.C.)により紹介されている。今日でも、甘味料・医療品として用いる。



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